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大阪地方裁判所 昭和55年(ワ)3902号 判決

原告

三雲進

三雲富江

右訴訟代理人弁護士

児玉憲夫

石川寛俊

右訴訟復代理人弁護士

大沼順子

被告

上田正規

安積正記

被告ら訴訟代理人弁護士

米田泰邦

宮﨑乾朗

板東秀明

仲松孝

川原俊明

吉田大地

上田裕康

主文

一  被告らは、原告らそれぞれに対し、各自金三八六万二五四七円宛及びこれに対する昭和五四年六月二九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  原告らのその余の請求を棄却する。

三  訴訟費用はこれを二分し、その一を被告らの負担とし、その余を原告らの負担とする。

四  この判決は、第一項に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは、原告らそれぞれに対し、各自金七〇五万五〇〇〇円宛及びこれに対する昭和五四年六月二九日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  訴訟費用は被告らの負担とする。

3  仮執行宣言。

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告らの請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告らの負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

原告らは、訴外亡三雲亜矢子(以下、「亜矢子」という。)の実父母であり、被告上田は、豊中市内において上田外科病院(以下、「上田病院」という。)を設置して診療業務を行なうもの、被告安積正記(以下、「被告安積」という。)は、上田病院に医師として勤務するものである。

2  亜矢子が麻酔事故に遭うまでの経緯

(一) 亜矢子は、昭和四五年九月一日に出生し、後記3の麻酔事故(以下、「本件麻酔事故」という。)発生当時満八歳であつたが、三歳半ころまで小児喘息の既往歴を有していた。

(二) 亜矢子は、昭和五四年六月一八日午後六時ころ、豊中市内を自転車で走行中、自動車と衝突して転倒、受傷し、直ちに救急車で上田病院へ搬送され、被告安積により左大腿骨骨折、右下腿打撲擦過創等により三か月の加療を要する旨診断され、同日、上田病院に入院した。

(三) 亜矢子は、入院の翌日である昭和五四年六月一九日、上田病院の看護婦により軟部腫張緩解剤であるベノスタジンの静脈注射を受けたところ、呼吸困難となり、顔面蒼白になるショック状態(以下、「ベノスタジン・ショック」という。)に陥つた。右ショックは、被告安積が酸素吸入や点滴の措置をとつた結果、回復した。

(四) 亜矢子に対する左大腿骨骨折の整復のための観血的手術(以下、「本件手術」という。)は、昭和五四年六月二八日に、被告安積を執刀医とし、上田病院の非常勤医師である訴外細井孝純(以下、「細井医師」という。)を介助医として行なわれることとなつたが、細井医師は週に一回上田病院に勤務するのみであつたため、本件手術実施についての術前の打合わせは、手術当日である右同日の午前中に、被告安積の外来診察時間の合間をぬつて約一〇分間ほどの間に行なわれた。

(五) 被告安積は、本件手術当日である昭和五四年六月二八日、手術前に亜矢子に対し、セファメジン(抗生剤)について感受性テストを行なつて陽性の反応を示していることを確認し、また亜矢子がピリンに対しても陽性の反応を示していたことを確認した。

3  本件麻酔事故の発生と被告安積らの対応

亜矢子が手術室に入室した後の経緯は、次のとおりである。

(イ) 昭和五四年六月二八日午後一時五五分頃(以下、特に断わらない限り、時刻は同日午後における時刻を示す。)、手術室に入室。

(ロ) 同二時一五分頃、被告安積により、腰椎麻酔薬であるネオペルカミンSを腰椎に注入されたところ(以下、「本件麻酔」という。)、注入後直ちに、背部、頸部に蕁麻疹が発現し、掻痒感を訴えた。そこで、プロコン(抗ヒスタミン剤)一アンプルが予め確保されていた静脈路側管から静脈内に投与された。

(ハ) 同二時二〇分頃、最大血圧が六六mmHg、最小血圧が三〇mmHg(以下、「六六―三〇」というように表示する。)に低下してショック状態となり、胸内苦悶、呼吸困難を訴えた。

(ニ) 同二時二五分頃、血圧は更に低下して六〇―三〇となつて意識喪失状態となり、この時点で酸素吸入が開始された。

(ホ) 同二時三〇分頃から約三分間、心電図上徐脈となるとともに、血圧も測定不能となつた。この徐脈発生の間、心マッサージが施行された。

(ヘ) その後、同二時三三分頃以降に気管内挿管が完了するとともに、昇圧剤イノバンが投与された。

(ト) 同三時頃、更に昇圧剤プロタノールが投与され、同時一〇分頃血圧は一一〇―七〇に回復。

(チ) 同五時、自発呼吸がわずかに出現したが、意識は回復せず。

(リ) 同九時一五分頃、大阪大学医学部附属病院特殊救急部(以下、「阪大病院」という。)へ転送され、高圧酸素療法、低体温療法、バルビタール療法が施行されたが、意識状態の改善をみないまま、亜矢子は、昭和五四年六月三〇日午後一時五五分頃死亡した。

4  亜矢子の死因

亜矢子の死因は、局所麻酔剤(ネオペルカミンS)によるアナフィラキシー・ショックである。

同女の死因が本件手術当日に投与された薬物によるショックであることは、右の経緯からみて明らかであるが、右ショックはいわゆるアナフィラキシー・ショックであり、かつ、その原因薬剤はネオペルカミンSであると考えられる。

(一) 右ショックがアナフィラキシー・ショックであることについて〈省略〉

(二) 右ショックの原因薬剤はネオペルカミンSであると考えられることについて〈省略〉

5  亜矢子の死の予見可能性(ネオペルカミンSの施用との相当因果関係)〈省略〉

6  被告安積の過失―その一―(救護義務違反)〈省略〉

7  被告安積の過失―その二―(事前準備義務違反)〈省略〉

8  被告安積の過失―その三―(麻酔方法選択についての注意義務違反)〈省略〉

9  被告上田の責任原因〈省略〉

10  損害〈省略〉

二  請求原因に対する被告らの認否〈省略〉

三  被告らの主張

1  手術室入室後の経過について

(一) 右入室後の症状とこれに対する処置は以下のとおりである。

(イ) 午後一時五五分、手術室入室。デキサ・シエロソン五mg二アンプルを筋肉注射し、右肘部より静脈路確保しソルビットハルトマン五〇〇cc+ソル・コーテフ一〇〇mgの点滴注入開始。

(ロ) 同二時八分、静脈路側管より硫酸アトロピリン一アンプル注入。

(ハ) 同二時一五分、左側臥位にて腰椎麻酔剤ネオペルカミンS一・三ccを脊髄腔内に注入し、左側臥位のまま麻酔効果を検索中、背部、腰部等に蕁麻疹様皮膚症状出現、掻痒感を訴える。細井医師の指示でプロコン一アンプルを前記側管より注入。

(ニ) 同二時二〇分、血圧低下(七〇―三三)、左側臥位から仰臥位体位にしてマスクで酸素補給開始。点滴のスピードを速める。悪心出現に続いて呼吸困難、脈搏微弱、意識レベルの低下等のショック状態となる。

(ホ) 同二時二五分、血圧低下(六〇―三〇)、酸素補給をマスクより挿管に変更するための挿管開始。同二六分、血圧測定不能となり徐脈出現。用手による心マッサージを施行する一方、細井医師により挿管するも何らかの障害により酸素補給不良、直ちに抜管し酸素供給をアンビュバッグによつて行うも不良。サクシン(筋弛緩剤)二〇mgを前記側管より注入し、二回目の挿管、肺野へ充分酸素補給ができていることを聴診器で確かめて挿管チューブ等の固定を行う。この間、ソルコーテフ、カルニゲン(昇圧剤)、イノバン(昇圧剤)、ルシドリール等の薬剤を投与(順不同)。

(ヘ) 同二時三〇分捜管完了。

(ト) 同三時、昇圧剤プロタノール投与、同一〇分、血圧回復(一一〇―七〇)、その間、心電図計にて心臓の状態の改善がみられ、自発呼吸も出現するが、意識状態は回復せず。

(チ) 同五時、血圧、呼吸の改善はあるが意識は回復せず阪大病院へ転送依頼。

(リ) 同九時一五分、阪大病院へ救急車で転送。〈以下、省略〉

理由

一請求原因1の事実(当事者)については、当事者間に争いがない。

二同2(一)ないし(五)の事実(亜矢子が麻酔事故に遭うまでの経緯)については、亜矢子の既往歴と交通事故発生の点を除き当事者間に争いがなく、原告富江、同進の各供述と弁論の全趣旨によれば、右既往歴と交通事故発生の事実を肯認できるというのが相当である(なお、被告安積の供述によれば、ピリンの陽性反応の確認は問診によるものと認められる。)。

三同3の事実(本件麻酔事故の発生と被告安積らの対応)のうち、二時二〇分頃の血圧値が六六―三〇であつたこと、酸素吸入開始時期が二時二五分頃であつたこと、二時三〇分から約三分間徐脈が発生し心マッサージを行つたこと、挿管終了が二時三三分以降であつたこと以外の事実については争いがなく、〈証拠〉によれば、被告らが右事故の発生と対応について主張する事実欄三1(一)(イ)ないし(リ)の各事実を肯認することができるというのが相当である。前掲甲第六号証の一には、二時三〇分から約三分間徐脈発生、心マッサージ施行の点につき原告らの主張にそう趣旨の記載があるが、細井証人の証言によれば、右甲第六号証の一の記載は、亜矢子が転送された阪大病院において同女の入院時に細井医師から聴取したところに基づいて亜矢子の病歴ないし上田病院における処置を記録したものであると認められるところ、甲第六号証の一の記載の右のごとき性質や、前掲細井証人が当法廷において右記載は必らずしも正確ではないとして被告らの主張にそう趣旨の証言をしていることを参酌すると、右甲第六号証の一の記載が細井医師の阪大病院における陳述の趣旨を正確に記載したものであり、かつ、右陳述の方が同医師の当法廷における証人としての供述よりも事実に即したものであることが立証されれば格別、かかる立証のない本件においては、前記甲第六号証の一の記載から直ちに原告ら主張の事実を認定するのは困難であるといわざるをえず、他にこれを認めるに足る証拠はない。

四そこで、進んで、請求原因4の事実(亜矢子の死因)について検討する。

1  同4(一)、(二)の事実のうち、亜矢子の死因が本件手術当日に投与された何らかの薬剤によるショック(薬物ショック、以下「本件ショック」という。)によるものであること及び原告ら主張の各薬剤がその主張の頃にそれぞれ投与されたこと、については当事者間に争いがない。

2  しかるところ、〈証拠〉によれば、以下の事実が認められる。

右の薬物ショックについては、薬剤の通常の使用方法で通常の使用量ないしそれ以下の使用量でも発生するアレルギー反応に基づくものと、それ以外のもの例えば薬剤の誤つた使用方法や過量投与によつて起る薬物中毒や薬剤被投与者の精神状態等に起因する神経因性ショックがあるとされ、また、右アレルギー反応に基づくものについては、これをⅠ型即時型過敏症、Ⅱ型細胞障害性反応、Ⅲ型抗原抗体複合体反応、Ⅳ型遅延型過敏症の四つに分類して説明したりすることがあるが、この分類によれば、アナフィラキシー・ショックはⅠ型即時型過敏症に属するものである(なお、右のⅡないしⅣ型のものはいずれも呼吸器系統の障害を伴うものではなくⅠ型とはその点において病態を異にするものである。)。

そして、右アナフィラキシー・ショックについては、一般に、その生化学的な機序としては、なんらかの原因で患者の体内に産出されたレアギン抗体(IgE抗体)(これは、細胞表面にIgE受容体を豊富にもつ組織中の肥満細胞や流血中の好塩基球と結合している。)が抗原と反応することにより、肥満細胞や好塩基球内から平滑筋収縮作用、血管透過性抗進作用を有するヒスタミン等の化学伝達物質が遊離し、この遊離した化学伝達物質が生体の正常な生命維持作用の均衡を崩すために惹き起こされるものであり、右ショックの特徴的な症状は、生命の維持に重要な呼吸と循環の各機能が同時にまたは相前後して障害され、単純な循環動態の変動のほかに、平滑筋攣縮、末稍血管拡張、血管透過性亢進などの特有な反応を伴い、薬物投与後三〇分以内に発生することが多く、一般に発症が急激であるほど症状は重篤であり、前駆症状として、口内異常感、心悸亢進、発疹等がみられ、また、掻痒感が訴えられることがあり、症状が進行すると血圧低下、呼吸困難が起こり、ついには、呼吸停止、昏睡状態に至ることがある旨の説明がなされている。

一方、右アレルギー反応以外のもののうち薬物中毒によるショックについては、例えば、局所麻酔剤によるものについていえば、その原因は、急激に局所麻酔剤の血中濃度が上昇するために起こるものであつて、この血中濃度の上昇は、局所麻酔剤の濃度が高い場合、総量が多い場合、注入速度が早い場合、咽頭、気管・肺胞・口腔粘膜等吸収の速い部位に注入した場合、誤つて血管内に注入した場合、局所麻酔剤の体内での分解・排泄の遅れる肝障害・低栄養状態の場合等に惹起されるものであり、そのショックの特徴は、アナフィラキシー・ショックの場合と異なり、中枢神経系の障害症状が表面に出ることであり、不安・興奮・多弁から極度になると痙攣がきたり、呼吸促進、頻脈、血圧上昇がおこつたりして、痙攣がひどい場合には筋硬直の状態が生じ呼吸が不能となり、チアノーゼも出現する旨の説明がなされている。

更に、アレルギー反応以外のものの一つである神経因性ショックについては、その発生原因としては、生体自身が極度の緊張状態に陥り、薬物投与、注射に対する神経反射で起る一過性脳虚血発作であり、精神的緊張により呼吸が大きくなつて過換気状態になり、これによつてヒスタミンが血中に遊離してショック状態となるものであり、症状としては徐脈が著明で、重症の場合、血圧下降、意識喪失がきて死に至ることがある旨の説明がなされている。

3  そして、本件手術当日、本件ショックが発生するまでに亜矢子に投与された薬剤は、前示のとおり一時五五分頃のデキサ・シエロソン五mg二アンプル筋肉注射、ソルビット・ハルトマン五〇〇cc+ソル・コーテフ一〇〇mgの点滴注入、二時八分頃の硫酸アトロピリン一アンプルの静脈側管からの注入、二時一五分頃のネオペルカミンS一・三ccの脊髄内注入であり、また、本件ショック時の亜矢子の症状も、前示のとおり二時一五分頃ネオペルカミンSを注入した直後に脊部・頸部に蕁麻疹が発現し、掻痒感を訴え、二時二〇分頃には血圧が七〇―三〇に低下してショック状態となり、胸内苦悶を訴え、二時二五分頃には血圧は更に低下して六〇―三〇となつて意識喪失状態となり、その後徐脈が発生し、血圧測定不能となつたというものである。

4  そこで、以上に判示したところに照らし、まず本件ショックの性質について考えるに、亜矢子に生じた本件ショックの症状は、右のとおりであつて、一般にアナフィラキシー・ショックの症状ないし病態として説明されているところとよく一致しており、それが一見アナフィラキシー様のショックであつたことは明らかであつたと考えられること、上記各薬剤投与についてその使用方法ないし使用量を誤つたものとみるべき証拠はなく、亜矢子の精神状態等についても、本件証拠上、当時亜矢子が前記の神経因性ショックを惹き起こす程度の精神的緊張状態、過換気状態にあつたとは認め難いこと等の事実に照らすと、他に特段の立証のない限り、本件ショックは、少なくとも臨床的にはこれをアナフィラキシー・ショックといつて差支えないものであつたと認めるのが相当である。

被告らは、局所麻酔によるショックはアナフィラキシー・ショックではないとされるにいたつているのが現状であるというが、被告らが指摘する前掲乙第一四号証によつても、それが右被告ら主張のごとく局所麻酔によるショックはアナフィラキシー・ショックではないとまで断じているものとは認め難く、他にこれを認めるに足る証拠はない。また、成立につき争いのない乙第一二号証によれば、臨床的にはアナフィラキシー・ショックと考えられたものでも、剖検の結果そうではなかつたことが判明した事例の存することは被告ら主張のとおりと認められるが、右剖検の結果のような資料のない本件において、与えられた資料を基に判断する限り、前記のごとく判断するのが相当であるといわざるをえない。

5  次に、右ショックの原因薬剤について検討する。

(一)  既に判示したところに照らすと、二時一五分頃、ネオペルカミンSの注入直後に亜矢子にみられた前記背部・頸部の蕁麻疹及び掻痒感は、前記アナフィラキシー・ショックの前駆症状であると認めるのが相当であるところ、通常、薬剤投与からアナフィラキシー・ショック発生までの時間は三〇分以内とされていることは前示のとおりである。

そして、本件手術当日、右症状発症前に亜矢子に投与された薬剤が、一時五五分頃に投与されたデキサ・シエロソンとソルビット・ハルトマン及びソル・コーテフ、二時八分頃に投与された硫酸アトロピン並びに二時一五分頃に投与されたネオペルカミンSであることも前示のとおりであるところ、〈証拠〉によれば、高分子化合物の薬剤はそれ自体として、低分子化合物の薬剤は体内蛋白質と結合することにより、もしくは製剤内に微量の蛋白質を保有することにより、抗原性をもつとされており、これによれば、高分子化合物あるいは低分子化合物いずれの薬剤でも投与された人体中において抗原抗体反応を引き起こす可能性があり、ひいてはアナフィラキシー・ショックを起こす可能性をもつていることは否定しえず、上記各薬剤のいずれについてもその性質上前記アナフィラキシー・ショックの原因となりえないと断ずるに足る証拠はない。

(二)  そこで、本件手術当日、前記前駆症状発生までに亜矢子に投与された右各薬剤のうちそのいずれかが前記アナフィラキシー・ショックの原因薬剤と考えられ易いものであるかという観点から検討するに、〈証拠〉によれば、以下の事実が認められ〈る。〉

(1) 施療上の薬物ショック死の原因としては、麻酔剤に起因するもの(主として局所麻酔剤)が四〇パーセント以上を占め、ついで抗生物質が一九パーセント、ピリン剤が六・九パーセントであり、薬物ショック死の原因としては麻酔剤に起因するもの(主として局麻薬)が圧倒的に多いとの統計報告がある。

(2) ネオペルカミンSの使用説明書においては、「使用上の注意」欄のうち、一般的注意の冒頭に「まれにショック様症状を起こすことがある」旨警告されてショック様症状を避けるための留意点が指摘され、その「副作用」欄の冒頭でも循環器についてショック様症状を起すことがある旨記載されており、右薬剤の使用上最も注意されねばならないのがショック様症状の発生であることが窺われるが、その他の薬剤についてみると次のとおりである。

デキサ・シエロソンについては、「使用上の注意」欄のうち、一般的注意の冒頭に同剤の投与により誘発感染症、二次性副腎不全等の重篤な副作用があることが警告されているが、そこではショックの点は触れられておらず、「副作用」欄でも感染症等のことが挙げられた後、一二番目に過敏症としてアナフィラキシー等の過敏症があらわれたら投与を中止すべき旨が記載されているのにとどまつている。

ソル・コーテフについても、デキサ・シエロソンと同様、「使用上の注意」欄のうち、一般的注意の冒頭では、誘発感染症等の副作用のあることが警告されているが、右薬剤自体によるショックの発生については触れられておらず、「副作用」欄では、その一二番でショックのことがとりあげられ、まれにアナフィラキシー様症状があらわれることがあるとされるにとどまつている。

硫酸アトロピンについては、「使用上の注意」欄の冒頭で緑内障の患者や右薬剤について過敏症の既往歴を有するものについては投与しないこととされ、「副作用」欄では七項目のうちの六番目に過敏症があげられているが、そこでは発疹等の過敏症があると述べられているだけでショックについては触れられていない。

(3) 静脈内への薬物投与の場合は、五分以内の薬物ショック発症が圧倒的に多いとされているところ、前示のとおりソルビット・ハルトマン、ソル・コーテフは一時五五分頃に点滴により、硫酸アトロピンは二時一五分頃に側管より、それぞれ静脈内に投与され、前駆症状発生までに既に五分以上を経過しているが、ネオペルカミンSはショックの前駆症状発生の直前に注入されている。

(4) 被告安積、細井医師は、本件ショック発生当時、臨床的見地から、本件ショックはネオペルカミンSによるものであると判断していたものであり、被告安積は、当法廷においても右現場における理解としてはネオペルカミンSによるショックであるということ以外何も考えられない旨供述している。

以上の事実が認められ、これらの事実に徴すると、本件アナフィラキシー・ショックの原因薬剤はネオペルカミンSであると考えるのが、最も理解し易いというべきである。

被告らは、ネオペルカミンSがショックを発生させる頻度は二万回の使用例に一回程度と低く、無限定にショック発生の危険性が警告されているデキサ・シエロソンの方が「まれに」ショックが発生することがある旨警告されているネオペルカミンSよりもショック発生頻度が高く危険である旨主張するところ、前掲甲第三号証や第一六号証によれば、ネオペルカミンSがショックを発生させる頻度は、その使用例との関係でみる限り被告らがいうように高くはないと認められるが、デキサ・シエロソンの使用説明書では、その冒頭においては、一般的注意として、誘発感染症、二次性腎不全等の重篤な副作用が警告されているが、その重篤な副作用の中にアナフィラキシー・ショックは含まれていないこと、ソル・コーテフや硫酸アトロピンについての副作用についての使用説明書上の注意書も前示のとおりであること等の事実に照らすと、右使用説明書上の無限定なあるいは「まれに」との記載が被告らのいうような発生頻度の相異を示すものであるとしても、これらの事実は、前記判断を左右するものではないというのが相当である。また、被告らが、薬剤の使用と副反応発症の時間的近接性から特定の薬剤と原因薬剤であると短絡的に断定できるものではないという点はそのとおりであろうが、上記(二)の冒頭に掲記の各証拠によれば、右のごとき時間的関連性も一つの判断要素となることは否定しえないものと認められる。

(二)  結局、以上のごとき点を総合考慮すると、亜矢子の死因は、ネオペルカミンSによるアナフィラキシー・ショックであつたと推認するのが相当であり、かかる推認は薬理学や生理学ないし病理学上の厳密な証明に基づくものと異なりその正確性に欠ける点のあることは否定しえないが、右のごとき自然科学的な証明の手段、方法の与えられていない本件訴訟のごとき場での判断としては、それが臨床学的な観点からみて不合理であるというようなものでない限り、やむをえないものであり、許されるものであるというのが相当である。

五次に、請求原因五(亜矢子の死の予見可能性――ネオペルカミンSの施用との相当因果関係)について、判断する。

(一)  アナフィラキシー・ショックを惹起する客観的条件の存在

上記二ないし四に判示してきたところ〈証拠〉によれば、原告ら主張の事実のほかアレルギー(アトピー)体質者には、幼少時からアレルギー性疾患の代表的なものといわれるアトピー性皮膚炎や気管支喘息があらわれ、それが学童期ないし思春期まで続くことが多いことを肯認できるというのが相当である。

(二)  右ショック発生の予知手段の存在

右(一)に掲記の各証拠と前掲原告両名の各供述と被告安積本人尋問の結果によれば、原告ら主張の事実を肯認することができるというのが相当である(但し、一応、ネオペルカミンSについて皮膚反応テストを行つてみること自体は可能であつても、その有効性ないしこれを行うべき必要性につき問題があることについては、後記八の1参照)。

(三)  右ショック発生を予見させる徴憑事実の存在

原告らが主張する事実があつたこと自体については当事者間に争いがなく、〈証拠〉によると、(イ)亜矢子が起した右ベノスタジン・ショックの発生及び治療の具体的内容は次のようなものであつたことすなわち上田病院の見習看護婦が、昭和五四年六月一九日午前一一時三〇分頃、亜矢子に対し、二〇パーセントキシリトール液二〇ccとベノスタジン五ccとを静脈注射したところ、亜矢子は注射施行中にショック状態に陥り、顔面蒼白、脈測定困難、血圧測定不能となり、呼吸ができずに苦しくて身体をバタバタさせる症状を呈した。そこで、看護婦からの連絡により、直ちに被告安積が駆けつけ、亜矢子の家族の手助けを得て亜矢子を酸素テント室に運び、直ちに酸素吸入を開始するとともに、デキサ・シエロソン五mgを筋肉注射、二〇パーセントキシリトール二〇cc、ソル・コーテフ一〇〇mgを静脈注射したところ、ショック状態は改善し、同日午後零時五分に五パーセントキシリトール三〇〇ccとソル・コーテフ一〇〇mgを点滴で静脈注射した後には、状態は更に改善し、同日午後零時二六分には血圧も七六―五六となつて、ショック状態は喪失し同日午後一時三五分には酸素吸入も中止され、同日午後二時頃亜矢子は、病室へ戻されたこと、(ロ)右のベノスタジン五ccというのはベノスタジンの注射量としては適量であり、亜矢子は、右注射当時、特段神経因性のショックを招くような状態は認められなかつたこと、(ハ)そして、ベノスタジンは、その使用説明書において、まれにショック症状を呈することがあるので、本人または両親、兄弟に他の薬剤に対するアレルギー、気管支喘息、発疹等の見られる患者には投与しないことを原則とするが、やむを得ず投与する場合には観察を充分に行い慎重に投与すべきことが警告されている薬剤であること、以上のごとき事実が認められる。

(四)  認識の可能性の存在

〈証拠〉によれば、原告ら主張の事実を肯認することができるというのが相当である(なお、レアギン抗体の発見によるアトピー素因の解明は比較的最近のことであるとしても、アトピーの名称自体は一九二三年に名づけられたものであり、アレルギー(アトピー)体質の人が各種薬剤でショックを起こしやすいものであるという臨床的な知見は、少なくとも、本件手術当時かなり一般的なものとなつていたものと認められる。)。

(五)  以上の認定事実に照らすと、皮膚反応テストについては前記のごとき問題があるので、これを除くとしても、亜矢子が前記ベノスタジン・ショックを起したりセファメジンの感受性テストにおいて陽性反応を示しているのは単に偶々そのような反応を示したというのではなく、それは亜矢子のアレルギー(アトピー)体質に由来するものであるというように理解することができるということ(事実欄四原告らの反論2参照。)も含め、原告らが亜矢子の死の予見可能性ないしネオペルカミンSの施用との相当因果関係について主張するところを肯認することができるというのが相当である。

被告らは、薬剤投与に伴い通常惹起されるショックのほとんどは、例えそれがアナフィラキシー・ショックといわれるものであつても現在の医療水準のもとにおいて期待しうる救護処置を適切に行うことによつて回復していることや極めて稀れに右適切な救護処置によつても救いえない重篤なショックが発生することがあるにしても、それについてはその発生の可能性ないし頻度を確める手段が存しないことを理由に、たとえ、前記アナフィラキシー・ショックの発生自体は予見しえたとしても亜矢子のショック死までを予見することは不可能であつた旨主張するが、既に判示してきたところから明らかなように、亜矢子はアレルギー(アトピー)体質であつたと考えられ、前示のような状況でかなり重大な症状を伴うベノスタジン・ショックを起していることからみて、ネオペルカミンSの施用によつてもかなり重篤なアナフィラキシー・ショックが発生する危険性が高いことが予見されたというべきことやアナフィラキシー・ショックの場合には一般に患者が死亡する危険性が大きいと考えられていること、更には、亜矢子の前記ショックについては、前記発症後の経過に照らすと、それはかなり重篤なアナフィラキシー・ショックであつたと考えられるが、そうかといつて、それが被告らのいうように局所麻酔の場合に一般に起りうると考えられている以上の予想を超えた重篤なショックであつたとまでは考え難いこと等の事情を考慮すると、被告らの右主張はたやすく採用できない。

六そこで、請求原因六(被告安積の過失―その一―救護義務違反)について、検討する。

被告安積がとつた救護処置の具体的内容、経過は前記三において判示したとおりであつて、原告らが指摘する気道内挿管が完了したのは本件ショックの前駆症状と考えられる蕁麻疹等が発生してからは約一五分後であり、ショック状態になつてからは約一〇分後のことであつたと認められ、また、アドレナリンが投与されていないことは原告ら主張のとおりと認められる。

そして、一般的抽象的にいえば、アナフィラキシー・ショックに対する救護処置として酸素の供給と適切な薬剤の投与を迅速に行う必要があることについては被告らも争わないところ、〈証拠〉によれば、原告ら主張のごとくショック発生後数分以内に気道内挿管を行つて酸素吸入を行い、まずアドレナリンを投与すべきことを指摘する文献も存するものと認められ、かかる事実に照らすと、上記被告安積のとつた救護処置については、原告らが請求原因及び反論の欄で主張するような観点からその適否ないし当不当について批判する余地は存するものと認められる。

しかしながら、一方、〈証拠〉によれば、右救護処置についても、治療行為実施の順序、投与薬剤の選択等について一定の範囲内で選択ないし裁量の幅というべきものが存するものと認められ、また、手技の巧拙についても一定限度内での許容範囲が存することも否定し難いものと認められる。

そこで、右のごとき事情を参酌して考えるに、本件証拠上は、本件手術当時、本件のようなショックが発生した場合に被告安積のごとき立場にある臨床医がとるべき救護処置について、その具体的な治療行為の順序及び投与すべき薬剤等に関し一般的に異論をみない程に明確な一定の治療方針が確立していたものとは認め難く、被告安積がとつた前記救護処置については、前記のごとき批判の余地はあるにせよ、気道内挿管完了の時期が前示のごとき時期になつたことやアドレナリンを投与しなかつたこと、更には介助医たる細井医師の挿管手技の巧拙を含め、これを、前記裁量の範囲ないし許容範囲をこえたものであり、法律上許されない違法なものであるとまで断ずるに足る証拠はないといわざるをえない。

よつて、この点に関する原告らの主張は、その余の点の判断に及ぶまでもなく採用できない。

七次に、請求原因七(被告安積の過失―その二―事前準備義務違反)についてみるに、既に判示してきた上記二ないし五の事実に照らすと、被告安積としては、原告ら主張のごとき事前準備をなすべき注意義務を負つていたこと自体はこれを肯認できるというのが相当である。

しかるところ、前掲細井証人の証言によれば、介助医として本件手術に立会い前記挿管の手技を行つた細井医師としては、その当時、亜矢子が前記既往歴を有していたことや同女がアレルギー(アトピー)体質であるということは聞いていなかつたというのであり、かかる点からすると、執刀医たる被告安積自身が患者である亜矢子の身体条件についての充分な確認をしなかつたか、介助医たる細井医師との間でその点について充分な連絡をしていなかつたことが考えられ、少なくとも、右の点で被告安積は上記注意義務を充分尽していなかつたというべきもののように思料されるが、仮にそうだとしても、本件証拠上は、そのことが原告らのいうように細井医師の本件ショック発生に対する認識を遅れさせ、同医師の挿管操作の不手際を招き気道確保を遅らせる要因をつくつたものと認めるに足る証拠はなく(この点については前記六の判示も参照。)、その意味でこの点に関する原告らの主張も、結局、採用できないものといわざるをえない(なお、上記判示以外の点について、亜矢子の死の原因となるような事前準備違反の事実があつたものと認めるに足る証拠はない。)。

八そこで、以下、請求原因八(被告安積の過失―その三―麻酔方法選択についての注意義務違反)について、検討する。

1  問診及び皮膚反応テストの実施について

(一) 前記四、五で判示したところに照らすと、原告らが問診の実施に関して主張する事実を肯認することができ、これらの事実によれば、被告安積は、亜矢子の本件手術を行うに先立つて、局所麻酔を行つたときのショック殊に患者を死に至らしめる虞れのあるアナフィラキシー・ショック発生の危険性の有無ないしその大きさを知るため、当時八歳であつた同女自身に対してはともかくその両親である原告らに対し右既往歴やアレルギー反応の有無を問診すべきであつたというのが相当であり、被告安積において右問診を行つておれば、亜矢子に前記小児喘息の既往歴のあることを知り、同女がアレルギー(アトピー)体質者であることを確認しえたものと認められるというのが相当である。

被告らは、ある特定の薬剤に対しアレルギー反応を示したからといつて当然に他の薬剤に対してもアレルギー反応を示し易いということにはならないといい、また、小児喘息の既往歴は局所麻酔(腰椎麻酔)の禁忌となるものではなく、これを知つたからといつてアナフィラキシー・ショックの発生を予見したり回避したりできるものではないからそもそも右既往歴について問診すべき義務はなかつた旨主張し、被告安積は、右既往歴を知つたとしても前記麻酔を実施したであろう旨供述し、かつ、その供述中には、右問診を行うまでもなく亜矢子をアレルギー(アトピー)体質者であると判断しこれを前提として前記麻酔を行つたことをいう趣旨と解しうる部分も存するところ、ある特定の薬剤に対してアレルギー反応を示したからといつて当然に他の薬剤に対してもアレルギー反応を示したであろうと断じえないことは被告ら主張のとおりであろうが、前示のとおりアレルギー(アトピー)体質者については、格別どの薬剤についてと特定しないで一般にアレルギー反応を起し易いと考えられる旨の説明がなされていることや前記ベノスタジンの使用説明書のように他の薬剤に対してアレルギー反応を示したものに対しては原則として投与しないこととする旨説明している例も存すること、更には、被告ら指摘の文献(甲第三号証)も被告らのいうように現に強く喘息を患つている者に対してだけ腰椎麻酔を避けるようにいい、喘息の既往歴は腰椎麻酔の禁忌ではないとまでいつているものとは理解し難いこと等の事実に徴すると、上記被告らの主張はたやすく採用できない。また、被告安積が右既往歴を知つても前記麻酔を実施したであろうとする点についても、同被告は亜矢子の全身状態からみて大丈夫と判断されたからという以上には右既往歴をふまえたうえで前記アナフィラキシー・ショック発生の危険の有無ないし大小についてどのように判断したのか具体的な説明をしていないことからみると、亜矢子の既往歴を知つても前記麻酔を実施したであろうという被告安積の右判断が妥当なのかどうか疑問であり、また、同被告が前記問診を行うまでもなく亜矢子をアレルギー(アトピー)体質者であると判断していたかのようにいう点についても、もし、同被告が問診を行つてこれを知つたときと同様の確信度をもつて前記麻酔に伴うアナフィラキシー・ショック発生の危険性の有無ないしその大小を判断しこれを前提として前記麻酔の実施したものであるとすれば、前記問診の性質上、もはや改めて亜矢子の既往歴について問診する必要はなく、その義務も存しなかつたというべきであろうが、同被告が右のような確信度をもつて右判断をしていたのかどうかは明らかでなく、結局、被告安積の右供述も前記認定、判断の妨げになるものではないというのが相当である。

(二)  次に、皮膚反応テストについてみるに、亜矢子のアレルギー(アトピー)体質等からみてネオペルカミンSを施用した場合亜矢子にアナフィラキシー・ショック発生の危険性があり、被告安積としても右危険性のあること自体は認識していたか当然認識すべきであつたことは既に判示したとおりであるところ、〈証拠〉によれば、一般に、アナフィラキシー・ショックの予防についてふれた文献の多くが、ショック予知の方法として皮膚反応テストをあげており、これを高く評価し、脊髄(腰椎)麻酔について、「本人にアレルギー、喘息が疑われ、家族にはつきりした既往症が認められる場合、Skin testを実施し、陽性の場合全身麻酔で行い、陰性の場合も注意深い観察を要する。」旨述べた文献や「既往歴、家族歴にアレルギー体質を思わせる患者、特に十代の若者は要注意としてスキンテストを試み、陽性なら脊麻を避けて全麻に替える。」旨記載した文献が存するほか、実際に腰椎麻酔薬について皮膚反応テストが行なわれている場合もあり、また、皮膚反応テストの陽性率は案外低いとしながらも、やれるものをやつておかなければ事故の時申し開きができないのも事実であると指摘する文献も存すること等の事実が認められ、これらの事実に照らすと、ネオペルカミンSについて皮膚反応テストを行うのが一般的であつたかどうかは別として、本件のように、右薬剤によるアナフィラキシー・ショック発生の危険性が予見されるような場合には、これを確認しその危険性の度合をみるためにも、それを実施することを不可能ないし不適当とする事情がない限り、皮膚反応テストを行つてみるべきであつたということもできるように考えられる。

しかしながら、一方、被告安積はネオペルカミンSについては皮膚反応テストの判定基準自体確立されていなかつた旨供述するところ、これを否定するに足る証拠はなく(もつとも、〈証拠〉によれば、ネオペルカミンSの組成剤と考えられるジブカインについて阪大皮膚科において皮内反応試験が行われたことがあることは認められるが、右事実があるからといつて直ちにネオペルカミンSについての皮膚反応テストの判定基準が確立していたとは断定できず、他に、これを認めるに足る証拠はない。)、〈証拠〉によれば、ペニシリンやセファメジンの使用説明書には皮膚反応テストをすることが望ましい旨の記載があるのに対し、ネオペルカミンSの使用説明書には皮膚反応テストをすべきである旨の記載がないこと、また、一般に皮膚反応テストの結果が陰性であつてもショック発生の危険性を否定できず、その意味で右テストのショック発生の予知手段としての信頼性はあまり高いものとは考えられておらず、現に、皮膚反応テストにおける陽性率について、薬物アレルギー患者についてみてもあまり高いものではなく、三分の一ないし二分の一程度であり、ショックを起した患者について事後にテストを行なつた結果でも三例中二例は陰性と出ているとの報告がなされたりしていること、更に、皮膚反応テストそれ自体によるショック発生の危険性も否定できず、腰椎麻酔については、注入する量が非常に少ないから、さらにそのテストをするということはやつていないし不可能ではないかと指摘する医師もあること等の事実が認められる。

そこで、以上認定の事実を総合して考えてみるに、ネオペルカミンSの施用に先立ちその皮膚反応テストを行うことがあり特にこれを行うことを不適当とすべき事情がない限り、これを行つてみることが望ましいあるいはその方が妥当であるとまではいえても、それ以上にこれを行うことが法的義務として要求されていたとまで断じてよいかどうかについては疑問があるといわざるをえず、この点に関する原告らの主張はたやすく採用できない(なお、右に判示したところに照らすと、事前にネオペルカミンSの皮膚反応テストを行なつたとしても、亜矢子がそれに対して陽性を示していたであろうと推断することはできないといわざるをえず、この点からも原告らの主張には採用し難い点がある。)。

2  麻酔方法の選択について

(一) 前記四、五に判示したところに照らすと、他に特段の事情の認められない本件の場合、被告安積としても、アレルギー(アトピー)体質者である亜矢子に麻酔を施用した場合アナフィラキシー・ショック発生の危険性があり、かつ、一旦、アナフィラキシー・ショックが発生すると予後が悪く死に至る危険性が高いことを認識していたか、認識すべきであつたというのが相当である。

(二)  しかして、このように麻酔を行うことによつて死に至る危険性のあるショック発生の可能性が予見される状況の下で、麻酔施用下の手術を行う医師としては、患者の肉体的、精神的疲労度その他の身体条件も充分考慮したうえで麻酔を施用することに伴う右ショック発生の危険性等諸々の危険性を慎重に比較判断したうえ、最も適当と考えられる麻酔方法を選択したうえで、右手術を行うべき注意義務があるというのが相当である。

(三)  しかるところ、被告安積がネオペルカミンSによる局所麻酔下に亜矢子の本件手術を行おうとしたものであることは前記のとおりであるが原告らは全身麻酔下に右手術を行うべきであつたと主張する。

そこで、以下、まず、全身麻酔が本件手術の場合、最も適当と考えられる麻酔方法であつたか否かの点を検討する。

(1) 〈証拠〉によれば、麻酔については、これを全身麻酔と局所麻酔の二つに大別することができ、それぞれの特色ないし長所短所としては次のような点があるものと認められる。

(イ) 全身麻酔には、静脈麻酔による方法や吸入麻酔による方法あるいはこれらの併用による方法等各種の方法があるが、静脈麻酔による場合に汎用されているバルビタール剤については、呼吸抑制作用、循環系抑制作用、副交換神経刺激効果等があり、喉頭痙攣や気管支収縮を起こしやすく、喘息患者への使用は一応禁忌とされており、また吸入麻酔についても、方法の如何にかかわらず予測できない変化が起こる旨注意がよびかけられていること。

(ロ) しかし、他方、腰椎麻酔を含む局所麻酔については、全身麻酔に比して全身に及ぼす影響が少なく、操作及び器具が簡単である等の利点をもつ反面、幼少時に困難、ときに重篤な合併症が発生するという欠点をもつとされ、統計結果によつても、薬物ショック死の原因の第一を占める麻酔薬の中では、腰椎麻酔薬を含む局所麻酔薬が中心をなすとの報告があること。

(ハ) また、脊髄麻酔(腰椎麻酔)によるアナフィラキシー・ショックの具体例を検討した文献において、アレルギー(アトピー)体質のためアナフィラキシー・ショック発生の危険性が高い場合、全身麻酔を採用することによつて、腰椎麻酔によるアナフィラキシー・ショックを回避しうるとの前提に立つて、前示のごとく「1)喘息、アレルギーの強い患者には脊髄麻酔は避ける方がよい。特に一〇代の患者や恐怖感の強い患者は全身麻酔の適応であろう。2)本人にアレルギー、喘息が疑われ、家族にはつきりした既往歴が認められる場合、Skin testを実施し、陽性の場合全身麻酔で行い、陰性の場合も注意深い観察を要する。」と述べた文献が存すること。

(ニ) 更に、右においては、アナフィラキシー・ショックの発生後救命しえた患者について、その後全身麻酔による手術を再三行なつているが、特に問題なく経過している旨の報告がなされていること。

(2) 以上、右(1)において認められる各事実に照らすと、一般的に全身麻酔の方が腰椎麻酔よりも安全であるといえるかどうかは別として、少なくとも、本件のように患者がアレルギー(アトピー)体質であると認められ、薬物投与に対しアナフィラキシー・ショックを起す危険性の高いことが具体的に予見されるような場合には、右ショック発生の危険性という観的からみる限り、全身麻酔の方が局所麻酔よりもより安全であると認められ、このような場合には、特段の理由がない限り、局所麻酔よりも全身麻酔を選択するというのが一般的な考え方であり、より妥当な方法であつたと認めるのが相当である。

被告らは、全身麻酔にもいろいろな障害を惹起する危険性があることを指摘し、全身麻酔と局所麻酔とのいずれを選択するかは医師の裁量の問題である旨主張するところ、そのこと自体は、被告ら主張のとおりであろうが、被告らが指摘する全身麻酔についての危険性は、亜矢子自身に関係づけられた具体的なものではなく、全身麻酔そのものに伴う危険として一般的に考えられているものにすぎず、具体的に予見されていたものとはいえないので、被告らのいう全身麻酔の危険性の存在は、右認定、判断の妨げになるものではないというのが相当である。

また、被告安積は、亜矢子の全身状態等をみて局所麻酔でも大丈夫でありこれが一番適当であると判断されたから前記麻酔を行つたものである旨供述するところ、同被告自身がそのように判断していたということ自体を否定すべき理由はないが、被告安積が、客観的にみれば、前記のとおり亜矢子はアレルギー(アトピー)体質であり局所麻酔によつてアナフィラキシー様ショックを発生する危険が大きいと認められるにもかかわらず、大丈夫だと判断した根拠、理由については全身状態をみてという以外には具体的な説明をしておらず、その妥当性については疑問があることは前示のとおりであり、そうだとすると、同被告の右供述もまた前記認定、判断の妨げになるものではないというのが相当である。

(四)  そこで、以上の認定、判断に照らして考えるに、被告安積としては、亜矢子に対し前記局所麻酔を施用するに先立ち、右麻酔を行つた際に予想されるアナフィラキシー・ショック発生の危険性の有無ないしその大小を亜矢子のその当時の肉体的、精神的疲労度その他の身体条件等も充分考慮したうえで慎重に検討、判断し、その危険性が少なく安全なことが確認された場合、あるいは、その危険性はあるが、当時の臨床医家の一般水準からみて予想しうるどのようなショックが起きても直ちにこれに即応した処置をとりそのショックから亜矢子を確実に救護できる見通しがたつている場合、更には右ショックから生ずる危険よりも更に大きな危険を回避するためにどうしても局所麻酔によらざるを得ないというような場合は格別、そうでない限り、亜矢子を死に至らしめる虞れのあるアナフィラキシー・ショックの発生を避け同女の生命の安全を図るため、右ショックの発生に対してより安全と考えられている全身麻酔下に本件手術を行い、これによつて、亜矢子が死に至る危険に直面するのを回避すべき注意義務があつたというのが相当である。

しかるところ、被告安積が前記局所麻酔を行うにあたつて、右の安全確認がなされていたこと、確実に救護しうる見通しが立つていたこと及びより大きな危険を回避するためにどうしても局所麻酔によらざるを得なかつたというような事情については、これを認めるに足る証拠はない。被告安積は亜矢子の全身状態等をみて局所麻酔でも大丈夫だと判断したというが、その具体的理由は明らかにされておらず、これを採用し難いことは前示のとおりであり、また、同被告は、前記局所麻酔に伴つて発生する異常事態に対しても適切な救護処置をとりうる態勢を整えていたとも供述するところ、同被告の供述や前掲細井証人の証言及び弁論の全趣旨によれば、同被告がそのように考えていたことは肯認でき、上田病院における救護処置態勢それ自体には右当時の一般開業病院の一般的水準に照らし特に欠けるところがあつたとは認められないというべきであるが、前示のとおり介助医として立会つた細井医師が亜矢子に本件ショックが発生した当時、同女がアレルギー(アトピー)体質であるということすら聞いていなかつたものと認められることに徴すると、上記被告安積の供述から、直ちに確実な救護の見通しがたつていたと認めてよいかどうかは疑問であり、他にこれを認めるに足る証拠はない。更に、局所麻酔によらざるを得なかつたとの点については、これを認めるに足る証拠がないばかりでなく、むしろ、被告安積の供述によれば、本件手術の場合全身麻酔を選択するについては、格別これを不可とする程の事情はなかつたものと認められる。

(五)  しかるに、被告安積は、本件手術にあたり、前記のごとく判断して前記局所麻酔を選択したのであるが、その選択の理由について首肯するに足る具体的な理由が開示されておらず右判断の妥当性について疑問があることが前示のとおりであるとすると、同被告の右判断は誤つたものであつたといわざるをえず、被告安積は、前記問診義務を尽さず右判断を誤つた結果、上記注意義務に違反したものであるといわざるをえない。

そして、既に判示してきたところに照らすと、他に特段の立証がない限り、被告安積において全身麻酔を採用することは可能であつたし、これを採用しておれば亜矢子の死は回避しえたと推認するのが相当である。

そうすると、被告安積は、右麻酔方法の選択を誤つたことに基づく過失責任は免れないものというべく、同被告は、これに基づき亜矢子の死亡による損害を賠償する義務を負うものというべきである。

九請求原因九(被告上田の責任原因)についてみるに、原告ら主張の事実については当事者間に争いがなく、以上の事実によれば、被告上田は、被告安積の本件不法行為から生じた損害について、使用者としてこれを賠償する義務を負うものというべきである。

一〇請求原因一〇(損害)について、検討する。

1  亜矢子の逸失利益

亜矢子の得べかりし利益は金一四六一万五〇九五円となる。原告らは法定相続分に従い、それぞれ金七三〇万七五四七円(円未満切捨て)の損害賠償請求権を相続により取得したものと認められる。

(1、525、600−1、525、600×0.5)×(27.1047−7.9449)=14、615、095

賃金センサス 生活費控除 ホフマン係数

2  慰藉料

原告らの請求しうべき慰藉料の額は各金五〇〇万円と認めるのが相当である。

3  弁護士費用

金一〇〇万円(原告ら各自につき金五〇万円)は、本件不法行為と相当因果関係にある損害というべきである。

4  損害の填補

原告らが、亜矢子の死亡について、自動車損害賠償責任保険により逸失利益の填補として金一〇八九万円の、慰藉料の填補として金六〇〇万円の支払いをそれぞれ受けたことは当事者間に争いのないところであるから、右1、2で認定した損害額から、右填補された額(原告ら各自についてそれぞれその二分の一の額)を控除すると、原告らの逸失利益の損害賠償請求権の相続額は各金一八六万二五四七円慰藉料請求権の額は各金二〇〇万円となる。

第六 結論

以上のとおりであつて、原告ら各自に対する請求は、原告らそれぞれについて金三八六万二五四七円及びこれに対する本件不法行為の日の翌日である昭和五四年六月二九日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払いを求める限度で理由があるからこれを認容することとし、その余は失当であるから棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条一項を、仮執行宣言につき同法一九六条一項を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官上野 茂 裁判官小原春夫及び裁判官大須賀滋は、いずれも転補のため署名捺印できない。裁判長裁判官上野 茂)

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